ちょっと前に観た映画。

トニー滝谷

映画観る前に村上春樹の原作を再読してしまったのでどうも入り込めなかった。村上春樹のような作風の小説は、その世界を忠実に画面上で創り出すこと自体無理なのかも、と思う。それはそれとして映画を楽しみたいと思ってたのに、直前に読んでしまうと小説のイメージの方がやっぱり強烈で。
そういえば以前、江國香織さん原作の『落下する夕方』の映画化されたものを観て、大好きな華子役を菅野美穂が全く別物に演じてて嫌気がさしてしまい、もう好きな小説の映画化は観るまい、と思ったんだっけ・・・


この作品でどうしても気になったのは、主役の二人がそれぞれ二役を演じているということ。作り手にはそれなりの考えがあってのことだと思うけど、どう考えたってあんな老けた学生いないでしょう(イッセー尾形)・・とか、死んだ妻の服を着せるために雇った女が妻と全く同じ顔なのに、設定は似てないことになってるのって不自然すぎる、趣旨が変わってしまう(宮沢りえ)・・とか思って集中できない。


本のページをめくるかのように横にスライドしていく画面や、朗読が登場人物のセリフに移り変わる手法を多用しているのもなんだか鼻について嫌になってしまう。


それから(思い出したらどんどん出てくる・・)妻の衣装部屋。妻は服や靴をどんどん買い漁り、その数は原作によると「毎日二回着替えをしても全部の服を着こなすのに二年近くかかる」ほどの数。なのに思ったより衣装が少ない。そんな細かいことどうでもいいと思いきや、それがそうではない。ラスト付近で雇われた女が、死んだ妻の衣装部屋でわけもわからず大泣きする場面がある。女は妻との面識はないので、妻のために流した涙ではない。なのにわけもわからず涙が止まらなくなる。ここは原作ではすごく重要な場面(だと思う)。感傷的な涙ではないのです。なのに映画ではそれが伝わってこない。もっと、服の数が異常に多すぎないといけない。ありえないような状態の部屋の中で彼女は意味不明の涙を流さなきゃいけない。ここはガツーンとくる所なはずがあまり心を打たれなかった。うーん。


なんか文句ばっかりつけてるなぁ。読まないで観ていたら案外あっさり観れたような気もする。
こんなに言っててもやっぱり宮沢りえはすごく素敵だったし、イッセ−尾形はまさに「トニー滝谷」そのもので、キャストはとても合ってると思う。でも教授(坂本龍一)の音楽、なんだかずっと流れ続けてて私には邪魔に感じてしまったな。


トニー滝谷オフィシャルウェブサイト http://www.tonytakitani.com/j/




だらだら打ち続けていたら疲れてしまった。長すぎる、説明だらけ。私の感想。