久しぶり。


お葬式やなんやかやで先週の月火と休んだのだけど、水曜からは通常通り仕事してます。
休んだ分残業したり、精神的に落ち着かないのもあって、ネットも久しぶり。やっと生活も通常通りに戻れそう、かな。


祖父の弔事にて感じたことは、当たり前のことばかり。今までそこに確かに存在した体(身)が、あっという間になくなって骨だけになってしまうこと。もう実物では目にすることはできないということ。そこんところがなかなかうまく飲み込めない、というか。これからも飲み込めずに過ごしていくんだろうな、と。
幼い頃いつも思ってたこと。いつか誰か(家族)が死んじゃう時を想像するとぞっとした。大切な人がいなくなることをいつも恐れていた。で誰かが死ぬときは皆で一緒に死のう!と決めていた(自分ではかなり真剣に)。家族にもそうしてくれと強要した。それで少し安心できた。(我ながら、気持ち悪い子供だ。)そういうことを、懐かしく思い出してしまった。


人は死んだら『無』になる。しばらく前から私はそう思っている。死んだ人を想う時「何か心残りはなかったかな」とか「成仏してるかな」とか思うのは、生きてる人間の感傷?慰め?である、と。
死=無。ヒトもネコもゴキブリも微生物も。それ以上でも以下でもない。
だから大切な人がいなくなって、一通り悲しむことを終えたら、あとは自分の中に死者を生かし続けるだけ。