無機的なものの静かなリズム。

人生を歩け!

互いが以前住んでいた場所を歩きながらの対談。この二人が一緒に歩いてるとかなり怪しげな雰囲気ぽくていいなーと思う。話もかなりおもろいし。


(生活者としてのいしいさんに対して)町田「それまでにつちかった自分自身のプリンシプル(原理)が崩壊していく快感とでもいうのかな。そんなものを感じるんですね。ああ、どうしても真面目な方向にいっちゃうな」「自分自身の設定したプリンシプルが崩壊していくのを許容している自分。それを感じることの楽しさ、といってもいいかもしれない」


(信仰心について)いしい「信仰心というのは、裏返してみたらだまされるということだと思うんですよ。だまされているのを悪いふうにとることもできるけど、「だまされている」のと「信じる」のはまったくおなじことだと考えることもできますよね」
町田「俺は、生きていることじたい、なんかすごいだまされているような気がする。そこに生えている木なんかは、なにも考えんし、歩きもせんし、実も花もない。だけど、人間よりも長生きをする。なんのために生きているのか?なんて考える人間のほうが、木や石よりもよほどはかないわけでしょう。そうすると、人間というのは、宇宙全体の一つの実験のように思えてくる」


この人の閾 (新潮文庫)

芥川受賞作の「この人の閾」、その他「東京画」「夏の終わりの林の中」「夢のあと」の4編。どれもそれぞれ味があって。私は「夏の終わりの林の中」が一番印象的だった。


「秋になって感傷的な気分になるわけは、そこに何か感傷的にさせるものがあるわけではなく、想い出が増えたからでもなく、たんに習い性とか条件反射のようなもので、(略)
感傷を感じるのは中身ではなくて、むしろ型の方の働きによるんじゃないか〜」
「人は自分のからだを、普段は『ある』と感じないものなんだよね。胃が痛くなってはじめて、『ここが胃なんだなあ』と感じる―。(略)心っていうのもそれと同じでね、喜びとか悲しみとか興奮とか、そういうもので自分の心が動いていることを感じる―。心はそういうものだっていう、錯覚を持ってる人たちがいるよね」

保坂さんの文章は一文が長いから略だらけ。