その場限りの冥福の祈り。


「冥福を祈る」とは「死後の幸福を祈る」ということ。世の中では毎日毎日、どこかで誰かが死ぬ。日本でも、異国でも。病気によっても、災害によっても。自分の知らない誰かが死ぬということ。たとえば災害でそれが無差別に降りかかったとき、どうして簡単に私は「冥福を祈る」なんて言葉を使えるのだろう。いったい何を祈ってるというんだろう。
天災や無差別に起きた事故。それは私の身の上に起こっていたとしても全然おかしくないこと。誰にでも起こりえること。悲惨だ、大変だ、という気持ちでいっぱいになると同時に、「自分に、または自分の身近な人に降りかからなくてよかった」とホッとしている気持ちがあるはず。その後ろめたさから出てくる言葉なのだろうか。幸運にも自分に降りかからなかった出来事は、そのうちすぐに遠いニュースになってしまう。風化してしまう。それが人間なのでしょう。
だとすればそんな言葉を口にする意味は、ない。
わからないです。