体罰と指導の線引きについて。


Siegfriedさんのエントリを読んで激しく同意した。(http://d.hatena.ne.jp/Siegfried/20050902#1125678163
この問題については私もよく考えることがある。何かあると体罰だ、セクハラだというこの風潮って何なんだろうと。
まず、Siegfriedさんと同じく私も暴力は大嫌いだし許せない。それを踏まえた上で、なら学校教育で先生が生徒に手をあげる事は、すべて暴力とみなされてしまうのか、ということ。とても難しい問題です。
外見的にみて、どこまでが指導でどこからが体罰かという線引きはない、と思う。線引きがあるとすれば、それは信頼関係の有無ではないか。
成長過程にある子供を導くにあたって、時には手を出さなければわからないような事って絶対ある、と思う。指一本出さないで立派に指導できる、そんなきれいなもんじゃないと思うのです。
信頼し、敬える間柄において、怒られるのには理由がある。言うだけじゃわからないこともある。一番大切なのは「殴る方だって痛いのだ」ということを子供が心のどこかでわかっている、ということ。殴られればそりゃあ痛いし悔しいし、理不尽だろう。でも信頼の上に成り立ったそういう気持ちがどこかにあるから、怖れることはあれ、憎むことなんてないんじゃないか。
核家族化し、どんどん縦のつながりが希薄になっている今。自分の痛みには敏感で他人の痛みには鈍感。これは子供に限ったことではないけど。学校でも家でもきちんと叱られることなく、痛い思いもそれに伴う愛情も知らずに育った子供の中から、少年犯罪に走る子供が出てくるんじゃないか、と言えば言いすぎになるのかな。(もちろんすべてではありません。)


長くなってしまったけど、これは愛情をもって生徒と対峙している先生であることを基本に、私が思うことです。そうじゃない教師が増えてるからこういう風潮になるのか、それともこういう時代だからそういう教師が増えてるのか・・・。
どちらにしても、子を持ち育てることがどんどん大変になっていくような気がする。